Deaf(デフ・聴覚障害)としての見られ方や身の振り方からみる第三者的観点の重要性

Deaf(デフ・聴覚障害)

聴覚障害をもってしまって、お気の毒ですね、辛くないですか?

と、たまに聞かれるが、決まって

ほんごう
ほんごう

聞こえないことで辛いことはあります。
でも普通では体験できないことができていると捉えてます。

と答えている。

辛いことは辛いと認めるべきだし、実際に電話や多人数の話し合いが必要なときに聞き取れない事実、都度人にお願いして対応してもらうといった事実は存在しているからだ。

そういった存在を無視して、自分1人で頑張っています!って言う人は周りに恵まれすぎて、気づいていないだけだろう。

現状困っていることをシッカリ認識して解決するほうが、長い目で見てもプラスになるしね。

ただ自分が可哀想とか思ったことは、生まれてから1度もない。
なんで聞こえないんだろう?と疑問に思ったことはあっても、ドラマのように葛藤するシーンもないし、自己憐憫の精神はまったく持ち合わせていない。

自分に対する感情がドライなんだろうと思う。
健聴と障害の世界観のなかで、自分自身を第三者的観点で見すぎてきたからなのかもしれない。
(こう書くと中二病みたいで気持ち悪いけど)

聞こえなくなったことは起こるべくして起こったことだし、他人が思っているほど聴覚障害ということに悲壮感を持ちあわせていないのである。

ただし、下記はさすがに傷つく。

本郷、ハゲた?

ハゲ具合を気にするメンタルはあるわい!(泣)

人工内耳や再生医療で聴覚障害という垣根は低くなっていく

まだまだ改善点はあるけど、近年では人工内耳も発達して、iPS細胞による再生医療で突然健聴者への復活もありえる。

さらに学校の授業に手話を積極的に取り入れてくれたり、Deaf(デフ・聴覚障害)がカフェ店や居酒屋をOPENしたり、弁護人になったりと、昔に比べれば聴覚障害者に対する社会的差別の意識は低くなってきたとはいえる。

ただ「ツンボ」など差別用語を頻繁に乱用して相手を傷つけるような人はいつの時代にでも存在するし、自分より欠陥がある人を上の立場に見たくない人は潜在的にみてもまだまだ多い。

身の回りの環境や置き方に関して、周囲の理解をいただく必要があることは、今後の課題なんだろう。

面と向かって悪口を言う人こそありがたい!マイナス思考はやめて前向きに生きるコツ

面と向かって悪口をいわれたら誰だって腹が立つ。
ホンゴウだってムカつくし、そんな人は遠ざけたくなる。
前々職場では影で悪口を言う人もいて、社会人でありながら思わずキレたこともある。

だからといって、自分にとって聴こえが良いものばかりを身の回りに固めるのは安心で気持ち良さがあるもの、決して良いこととは思えない。

悪口にしたって目の前で言われるほうが正直感があって、ギャクに好感が持てるし、そういう人と仲良くなりたい。

無関心な人・体裁がいいフリをして陰で悪口や暴力を振るう人よりも大人だからだ。

悪口を面と向かって言われるということは、自分が気付いてない面を指摘されているという事に気付くチャンス。
良いにしろ悪いにしろ他人からみた自分を客観的に見られるからだ。

これはDeaf(デフ・聴覚障害)でなくても健聴者同士でもこういったことはあるだろう。
だからDeaf(デフ・聴覚障害)の方に言いたい。
ご自身も必要以上に凹む必要なんてまったくない。

むしろ難聴という経験を通して物事をいかにプラスに学べるのでは?と思っている。
聞こえないことのマイナス的なことばかり考えても仕方ないしね。

以上、わたしホンゴウの考えなんだけど、同じDeaf(デフ・聴覚障害)を抱えた方や健聴者の方はどう見えますか?

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