ホンゴウは2歳のとき、高熱による途中失調で聞こえなくなりました。
以来、親や学校からは過剰ともいえる保護を受け、その反面から裏では差別的な扱いを受けたことも少なくなく、その経験をもとに人格が形成されていったので、もし聞こえていたら、人生のベクトルが大きく異なったのは確実でした。
しかし「もし」「たら」「れば」の話、仮定の域を出ない以上、ない物ねだりしても仕方ない。
アレばあれば…、コレができたら…、なんてマイナス的なことばかり考えるよりも、聞こえないことで逆にできるメリットを考えたほうが建設的だよね。
例えば都合の悪いことを言われても、「え?聞こえなかった!」と言い張ることもできるし。(あとが怖いのでオススメしませんがw)
なにより、そんな自分を理解してくれる友人ができていったことは大きいです。
過去、聞こえないことでコンプレックスを抱いたこともあり、周りの責任ばかりにしたり、心配してくれている人にすら平気で傷つけるようなことを口にしたりともあったけど、そのことのありがたみ・重要性にすら気づいてなかった。
高校を卒業して、バイトしたりと社会に出てからはそういった青二才も鳴りを潜め、専門学校の先生に言われて今でも覚えているんですが、
「聞こえないんだから、人とは違う世界観を見つけていきなさい。」
このことから自分がどういう生き方をしていたのか客観的に見えるようになり、次第に自分の特長を気づくようになりました。
手話を覚えれば、英語が苦手でも聴覚障害の外人と話せるし、身振り=ジェスチャーが多いので、コミュニケーション手段も豊富になるというメリットもあるし。
要は自分の捉え方次第、聞こえないことをマイナスに感じるばかりよりは、プラスに捉えて前向きに生きるほうが人生楽しいと思います。
コメント