あれこれ考える前にまずは行動!韓国横断を振り返る

「あれこれ考えるより、まず動こう!」

先日、ひらのたけしさんと会ったときに仰られ、この記事を書くキッカケとなりましたので書きます。

今までを振り返ってみれば、

「あれこれ考えるより、まず動く」それはDef-Bonの原点=良さのひとつのはずだったのに、フリーランスになってから目の前の仕事に追われて、いつのまにか思いっきり動くことできなくなっていました。

そもそも石橋を叩いて渡るタイプじゃないせっかちな性格なのは自分でもイヤというほど分かっています、ビビってしまう性分になってしまったんでしょうね。

「あれこれ考えるより、まず動く」この言葉を思い出してみれば、昔から自転車が大好きで、専門学校時代を休学中、幼稚園時代からの友人であるヤンマと2人で韓国を自転車で走りぬけたことが最初でした。

20歳になったばかりかな?もう20年以上も前なのでうろ覚えだけど、関空〜済州島からフェリーで釜山〜全州〜ソウルの約2週間コースをはしりました。

ロードバイクといっても今みたいなオシャレなデザインのを買ったんじゃなく、リサイクルショップの店頭に3,000円で売られていたロードバイクもどきのめっちゃ重たい自転車でした。

フレーム素材も鉄パイプで組み立てただけのような自転車で、変速ギアも申し訳程度についてるのみ。

ペダルを踏むたびにギイギイと音が鳴り、上り坂はむちゃくちゃペダルが重たくなる自転車で、坂を登るたびに足がパンパン。

あしたのジョーの段下丹平が使っていたといってもいいほどくそくそボロいチャリという形容のほうがピッタリです。

ヤンマの自転車も、Def-Bonのより申し訳程度にマシという、どっこいどっこいのレベルでした。

我ながら、よくこんな自転車に乗ったな…もう一回同じ自転車で走れる?と言われても絶対乗りたくないレベルの自転車です。

お互い金もない貧乏学生だったので、バイトはしていたけど、サイクリング服装はランニングシャツ・短パン・普通の運動靴、でかいバックパックに着替えなどを詰め込んで、あとは若さと体力に任せて走るという、流行りのオシャレなロードサイクリストとは大きくかけ離れた格好で走りました。

現在ならロードバイクを空輸するために自転車をバラして、ドリンクボトルを持って、アプリを入れて、宿の手配をして、トレーニングをして…とあれこれ準備すると思うけど、当時はそんな予備知識は一切なし。

さらに韓国語(ハングル文字)どころが英語はしゃべれないというブッツケ本番
健聴者のヤンマが主だってコミュニケーションを取ってくれるのには、ホントに助けられました。

年を経た今だと無謀に思えることも、当時は

Def-Bon
Def-Bon

自転車で長い距離を走ったことがないけど、走りきれるんかな?

としか、考えていなかった。
旅の不安はあったけど、そんなの考えればキリがないし、実際起こるかわからない対応に頭を悩ますよりもワクワク感のほうを大事にしたかった。

韓国を実際に走って事件は覚えているだけでも、たくさんあったなー。

  • 斉州島から釜山へのフェリーに乗るとき、他の韓国の人たちと雑魚寝。ものすごく狭くて眠れなかった。
  • 韓国から日本へ観光に行くために釜山へ行くという同い年の韓国人の方と知り合ったこと。
    ※下船時以来、会ってないけど元気にしているのかな?
  • 釜山近くのホテルで宿泊時、ヤンマが幽霊を見た!と騒ぎまくる。
  • 民家もないただ広い田んぼの真ん中でヤンマのタイヤがパンク。パンク修理キットを忘れた事に気づいた上に、近くに自転車屋もなく右往左往。奇跡的にタクシーが通ったので頼み込んで自転車屋へ連れて行ってもらったこと。
  • 数日後自分のタイヤもパンクするが、ヤンマが気づかず先に行ってしまい完全にはぐれたこと。
  • ホテルと思って宿泊したらラブホだった。
  • 田舎の街で休憩に喫茶店に入ったらら、なぜか昼からやっているキャバクラだった。
  • 自転車で走るとエネルギーを消費するので毎日焼き肉を食いたいと主張するヤンマと、たまには違う韓国のものを食べたいと食事で大喧嘩、お互い悪いところを認めあって仲直り。
  • トイレ(大)に行きたいのにヤンマがわざと漏らさせようと邪魔してくる。

他にもいっぱいあった2週間だった、今の韓国は外交で反日感情がなんやかんやといわれてるよね。

だけどDef-Bonが行った20年前の韓国は、宿先のオバちゃんがすごく親身にご飯を作って道を教えてくれたり、焼き肉店でたくさん食べたら「良い食いっぷり!」と無料にしてくれたり、道が分からず地図とにらめっこしていたら、韓国のサラリーマンから「こっちを抜けたら近道だよ」とわざわざ教えてくれたり、炎天下で工場を通りがかったら、従業員から応援に飲み物を差し入れてくれたり、ソウルの土産物屋ではたくさん持って帰りなさい!と鞄(あまり好みのデザインではなかったけどw)とかたくさんお土産をくれたり・・・etc。

いっぱい親切にしてもらいました。
もちろん良いことばかりじゃなくボッタクリもあったり、風◯とか勧めてくる人もいたけど、そんなの日本でもそんなのはあるし、他の国でも変わらない。

今では韓国はK-POPや韓流ドラマなどで日本からの観光客も増えるも、日々反日感情も増えてしまい、当時出会った人達が変わらぬ感情を抱いているのかは分からないけど。

すくなくとも20歳当時の韓国は、Def-Bonにとって一生忘れられない国となりました。

初めての海外、目の前のことが大きすぎて、アレコレ考える暇がなかったのかもしれないし、ろくに言葉は通じなかったけど、そんな小さいことはどうでも良いぐらい「まずは行動!」の影響が大きかったな。

もしこの経験がなかったら、いま韓国を走る?と聞かれても「ハングル語を覚えてから〜」「このルート行くならこの観光地を見に回って〜」など、言い訳だけで何も進められていないと思います。

まさに「あれこれ考えるより、まず動こう!」

年を経るにつれてこの教訓が薄れていたところで、ひらのさんとの話で初心を思い出したので、改めて振り返りました。

ひらのさんは私より3、4つ年下だけど、私とは性格が真逆でエネルギッシュな人で、行動をみてはいつも励まされています。

実家の物置か、どこかに韓国横断の写真があったはずなので、機会あればまたそのうち載せまーす。

余談
韓国を一緒に走った相棒とでも言うべきボロ自転車ですが、普通にパクられました…。

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