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あれこれ考える前にまずは行動!韓国横断を振り返る

「あれこれ考えるより、まず動こう!」

先日、ひらのたけしさんと会ったときに仰られ、この記事を書くキッカケとなりましたので書きます。

ひらのたけし
ひらのたけし自伝 17歳の青年がギター担いで海外へ渡るストーリー・ギターが導いたぼくの人生・本当にやりたいことがあるなら、自分をその環境へ追い込むことが一番の近道・勇気があれば誰もが小説のようなおもしろい人生を歩める。・メルボルン発:神風ロ

今までを振り返ってみれば、

「あれこれ考えるより、まず動く」それはホンゴウの原点=良さのひとつのはずだったのに、最近は目の前のことに追われて、いつのまにかできなくなっていました。

元来石橋を叩いて渡るタイプじゃないのは自分でもイヤというほど分かっています、どっかでビビっているんでしょうね。

「あれこれ考えるより、まず動く」この原動となったのを思い出してみれば、昔から自転車が大好きで、専門学校時代を休学中、幼稚園時代からの友人であるヤンマと2人で韓国を自転車で走りぬけたことから本格的に始まりました。

もう20年も前なのでうろ覚えだけど、関空〜済州島からフェリーで釜山〜全州〜ソウルの約2週間コース。

自転車は、今みたいなロードバイクといったシャレたものではなく、リサイクルショップの店頭に3,000円で売られていたロードバイクもどきの自転車。

フレーム素材も鉄パイプで組み立てただけのような重い自転車で、変速ギアも申し訳程度についてるのみ。

ペダルを踏むたびにギイギイと音が鳴り、上りはむちゃくちゃペダルが重たくなる自転車で、足がパンパン。

まさにあしたのジョーの段下丹平が使っていたといっても信じてくれるほどボロチャリ

我ながら、よくこんな自転車に乗っていたな…。

友人の自転車もホンゴウのより、ちょっとマシな自転車という、自転車のレベルはどっこいどっこいのレベル。

バイトはしていたけど、お互い金もない貧乏学生だったので、サイクリング服装はランニングシャツ・短パン・普通の運動靴、でかいバックパックに着替えなどを詰め込んで、あとは若さと体力に任せて走るという、今流行っているオシャレなロードサイクリストとはかけ離れた格好で走っていました。

普通ならロードバイクを空輸するためにバラして、ドリンクボトルを持って、アプリを入れて、宿の手配をして、トレーニングをして…とあれこれ準備すると思うけど、当時はそんなの一切なし。

韓国語(ハングル文字)どころが英語はしゃべれないし、ほんとブッツケ本番

年を経た今だと無謀に思えることも、当時は

ほんごう
ほんごう

自転車で長距離走ったことないけど、走りきれるんかな?

としか、考えていませんでした。

もちろん、旅の不安も多少はあったけど考えればキリがないし、それよりもワクワク感のほうが大きかった。

韓国を実際に走って事件はたくさんありました。

斉州島からフェリーに乗るも一番安い部屋だったので他の韓国の方々と雑魚寝するも、ものすごく狭くて眠れなかった分、韓国から日本へ観光に行くという同い年の韓国人の方と知り合えたこと。

釜山で宿泊時、ヤンマが幽霊を見た!と騒ぎまくっていたこと。

民家もない道中でヤンマのタイヤがパンクするも、換えのタイヤがなくて右往左往したこと。

逆に自分のタイヤがパンクしたのに、ヤンマが気づかず先に行ってしまい一人きりになったこと。

ホテルと思って宿泊したらラブホだったり、休憩で喫茶店に入ったらキャバクラだったり。

走ってエネルギーを消費するので、毎日焼き肉を食いたいと主張するヤンマと、違うものが食べたいと食い物でケンカしたり。

仲直りしたかと思えば、浮いた時間で観光すればトイレに行きたいのに、ヤンマがわざと漏らさせようと邪魔してきてまた喧嘩したり。

他にもいっぱいあった2週間だったなー。

今の韓国は外交でなんやかんやといわれてるけど、少なくとも私が行った20年前の韓国は、宿先のオバちゃんがすごく親身にご飯を作っては道を教えてくれたり、

焼き肉店でたくさん食べたら良い食いっぷりだと無料にしてくれたり、

道が分からず地図とにらめっこしていたら向こうからこっちが近道だよと教えてくれたり、

工場そばで休んでいたら従業員から応援に飲み物を差し入れてくれたり、

ソウルの土産物屋ではたくさん持って帰り!とたくさんお土産をくれたりと、

いっぱい親切にしてもらいました。もちろん良いことばかりじゃなくボッタクリにもあったり、危険なものを勧めてくる人もいたけど、それは日本でも他の国でも変わらないです。

今の韓国は観光客も増え、当時の人達がどうかわからないけど、すくなくとも当時の韓国は、ホンゴウとヤンマにとって一生忘れられない国となりました。

はじめての海外、目の前のことが大きすぎて、アレコレ考える暇がなかったのかもしれないし、ろくに言葉は通じなかったけど、そんな小さいことはどうでも良いぐらい「まずは行動」の影響が大きかった。

この経験がなかったら、今の状態で韓国を走るかと言われても「ハングル語を覚えてから〜」「このルート行くならこの観光地を見に回って〜」など、言い訳を使って、結局何も進められないと思います。

まさに「あれこれ考えるより、まず動こう!」

オッサンになるにつれて、この教訓が薄れていたところで、ひらのさんとの話で初心を思い出したので、改めて振り返りました。

ひらのさんは私より3つ年下ですが、私とは性格が真逆ながらもエネルギッシュな人で、行動をみてはいつも励まされています。

物置のどこかに韓国横断の写真があったはずなので、機会あればまたそのうち載せまーす。

ちなみにボロ自転車は、その後も通学の最寄り駅への移動に使っていましたが、パクられてしまいました…。

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