奈良・兵庫・鹿児島に住んだこと

自分のこと

以前も書いたんですが、Def-Bonはこれまでの人生で奈良・兵庫・鹿児島の3県に住んでいます。

今回は奈良育ちの自分から見て、それぞれの県に住んだ思い出や感じたことを書いてみようと思ったので、振り返りの意味もかねて書いています。

覚えていることをざっくり書いたけど、他にも思い出したらまた追加していきます。

奈良

奈良県といえばDef-Bonの人生ほとんどを占めるほど過ごした場所で、3県のなかでも特に愛着があります。

実家から見える若草山は子供の時から眺めて育ったので、ドライブや散歩で若草山を見るたびに奈良にいるんだと実感させてくれるんですね。

奈良といえば、昔から大阪のベットダウンだの、京都に比べたら地味だの、様々なところからネガティブに言われますが、Def-Bonにとっては人の往来がさほどなく、近鉄線で大阪・京都・三重どちらにも行きやすいhub的役割を果たす奈良という環境はすごく気に入っています。

ただ残念なのは盆地ということもあって冬は寒さが厳しいこと、海が見られないことかな?
それでも奈良は好きです。

兵庫

神戸で初のひとり暮らし

兵庫県では神戸と姫路の2つの市に住みました。
どちらも同じ兵庫県内でありながら様相が大きく異なっていて、神戸はおしゃれな「街」、姫路はファミリー向けの「町」という印象だったな。

神戸は初めてのひとり暮らしだったので、洗濯にせよ、買い物にせよ、料理をするにしてもすべて自分でせねばならず、生きるのに精一杯という日々でした。

しかも初めてのひとり暮らし!という変なテンションもあってか、家賃がお高めのオシャレなマンションを借りてみたり。トイレと風呂は共同なんだけど、ガラス張り(!?)という類を見ない部屋の作りが気に入っちゃったんですが、神戸は生活費が高く、生活そのものがきつくなりましたがw

幸いというか神戸は特に車を必要とするシーンがさほどなく、さらに障害者なので市内バスは無料パスがもらえたし、バスがないところは自転車で事足りたのが大きかったんだけど、唯一難儀したのは最寄りのスーパーが三ノ宮駅前のダイエー地下とアクセスが悪く、毎回自炊するのが面倒くさかった思い出です。

気晴らしといえば、会社の外注先に同い年のヒゲさんというあだ名の建築デザインの人と毎晩ビリヤードやウイイレしたり飲んだり、家の近くにアロアロ(いまは移転したのかな?無くなりました)という月2回ろう者が集まる手話カフェBARや、神戸の風見鶏のバドミントンに顔を出したりと、同じろう者の人たちと交流できたのは良い思い出かな。

美術館やルミナリエなどのスポットを巡ったりはしましたが…「孤独」というのが割と身にしみた日々でしたね、三宮はおしゃれな街なのは間違いないです。

姫路へ引っ越し

神戸の会社を退職後、姫路のデザイン会社に誘われたので姫路に引っ越しました。

せっかくオシャレなマンションを借りたので神戸から通っても良かったんだけど、電車の通勤は大がつくほど嫌いなDef-Bon。
往復2時間の通勤時間と引越し費用を秤にかけ、最終的には引っ越しを選んだことで姫路在住を決めました。

引っ越し時はヒゲさんや会社の同僚に手伝っていただいて軽トラに荷物を積み下道を突っ走って。
ひとり暮らしだったのでそんなに荷物はなかったけど、荷物が予想外に多かったな〜。

姫路の家はメゾンタイプのアパートで1LDK。
この頃になると、ひとり暮らしの生活もだいぶ落ち着いてきたし、姫路の家は自転車で5分もしないところにスーパーがあったのは大きなメリットで、自炊も楽になって生活費も大幅に助かりました。

さらに会社の場所も最初は自転車で30分と少し離れた場所にあったけど、1年ぐらいしたら手柄山へ移転して、家から道路一直線で10分もしないで着く距離に変わりましたw
結果朝ギリギリまで寝てたりと、まさに通勤時間に悩まない生活。

この頃はデザイン会社の同僚に誘われて始めた自転車にハマり、休みの日は姫路〜明石を往復したりと、健康面を最大限に維持できたのもこの時じゃないかなと思っています。

こんな感じで生活面では割と充実していましたが、プライベートは会社の人以外知り合いがおらず、ほぼ一人の生活が多かったんだけど、神戸のときに比べれば苦にもなりませんでした。

その後デザイン会社は色々あって退職、フリーランスとして生きると決めた時、2回目の引っ越しをしました。

前の家は会社に近いこともあって、気分が一掃できない・・・という決意のもとの引っ越しで、これまで住んだ中でもボロいアパートで2年近くを過ごしましたが、結構しんどかったな。

最終的には身体・精神ともに崩しかけたため、地元・奈良の実家へ戻ることにしました。

鹿児島

奈良の実家で2年間近く過ごし、地元の仲間も増えて少しずつ気力と体力が回復してきたときに、鹿児島から友人の家へ遊びに来た今のパートナーと知り合って、ほぼ一目惚れの形で最初は友達でお付き合いをスタート。

その時期はコロナウイルスが流行り始めており、最初は遠距離でのお付き合いという形でしたが、回りくどいのが大嫌いなDef-Bonは直接パートナーに同棲を持ち出したところ、パートナーからも了承を頂いたので、コロナウイルスの県外移動の許可が出ると同時に鹿児島へ移住しました。

荷物は着替えなどをダンボール一箱に詰めて送り、直接持っていったのはノートパソコンと着替え一式と最低限必要なもののみ。

パートナーの家はひとり暮らしで1Kだったので、普通であれば2人で暮らすには狭いかもしれませんが、まったく苦にも感じませんでした。

遠距離恋愛は実らないというフレーズ?なにソレ?

2年近くを鹿児島で過ごし、鹿児島で知り合いができたり、様々なスポットやグルメ・温泉めぐりをしたり、パートナーの親戚に挨拶したり、なによりも雄大な桜島と人懐こい野良猫に触れていく毎日で、完全に気力が回復しました。

ただパートナーは昔から鹿児島を出たいという希望を持っており、もともとの奈良に愛着のあった自分だったので、いつかは鹿児島を出るだろうなと漠然と思っていました。

そんな折、住んでいたアパートの大家さんが歳ということでアパートを畳みたいという話を賃貸会社経由で持ち込まれ、その際に引越し費用も出すという話を受けたので、これはもう鹿児島を出るには良い機会だということで奈良に帰ることが決定。

桜島・銭湯・グルメ・野良猫たちと別れるのだけはすごく心残りだったけど、前に進むためと思って改めて奈良に戻りました。

これからどうなるのか先のことはまだわからないけど、「人生色々あるさ」の言葉通り、その時の状況に応じて変わっていくだろうなと思っている今日のこの頃です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました